今結婚しているうちではなくて、実家のことですが、、。
私以外に母親と妹も中国かぶれなんです。
母親は40代中盤から中国語の勉強をはじめ、マスターしました。
そして当時はまだインターネットなどなかったので、パンダクラブなる文通クラブの会員になって、中国全土のあちこちに住む中国人5~6名と文通も始めました。
そして中国熱がたかまった母は、中国行きを決心しました。
決心というほど大変なことなの?と思うでしょうが、その当時は大変だったのです。
いまほど自由化されていない中国に入国するには厳格にビザを求められたし、ビザがあっても、中国のどこにでもいけるわけでもありません。
そして乗り物でもホテルでも、当時は外国人料金というのがあって、現地中国の人の何倍もの料金をとられます。
母は古風に父に尽くしてきて、一人でどこかにいくなんて全くなかったひとです。
そんな母が共産国である中国にたったひとりで、文通相手を訪ねる、一ヶ月もの旅行にいくのですから、一大決心だったわけです。
PR